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赤城の山も今宵かぎり‥‥‥ いいか悪いかってえのはなア、見方によって変わるもんなんだぜ。 お上の立場から見りゃア、お上に楯突いた親分さんは極悪人だ。 だがよお、百姓たちから見りゃア、違った見方になるんだぜ。 悪口を言う奴らはみんな、お上の立場に立って物を言うお利口さんよ。 親分さんを盗っ人呼ばわりする奴らはな、あくでえ事をして弱え者から銭を絞り取った汚ねえ奴らさ。 親分さんに弱みを握られ、てめえから銭を差し出したくせして盗まれたと抜かしやがる。 実際に、その目でじっくりと、本物の親分さんを見てやっておくんなせえよ。 目次 #
by suwiun
| 2008-08-03 09:37
| 目次
国定忠次 1810-1850 上州佐位郡国定村の富農、長岡与五左衛門の長男に生まれる。本名は長岡忠次郎。
日光の円蔵 1802-1843 野州都賀郡落合村に生まれる。寺に入れられ晃円と名乗るが、寺を逃亡して日光の円蔵を名乗り、無宿者となる。忠次と出会い、軍師として活躍する。 弁天のおりん 1806-不詳 伊勢国出身の女渡世人。旅先で円蔵と出会い、妻となる。 三ツ木の文蔵 1809-1838 忠次の子分。上州新田郡三ツ木村の貧しい農家に生まれる。手裏剣の名手。 国定の清五郎 1810-不詳 忠次の子分。国定村の富農、松原清兵衛の次男に生まれる。 五目牛の千代松 1810-1846 忠次の子分。上州佐位郡五目牛村の富農、菊地家の長男に生まれる。 曲沢の富五郎 1810-1842 忠次の子分。上州佐位郡曲沢村の富農の次男に生まれる。 吉祥天のお辰 1810-1842 忠次の子分。上州群馬郡水沢村に生まれる。上州桐生町の車屋の娘で、家を飛び出し女渡世人となり、旅から旅へと渡り歩き、忠次と出会って子分になる。 保泉の久次郎 1811-1842 忠次の子分。上州佐位郡保泉村に生まれる。 神崎の友五郎 1811-1838 忠次の子分。下総国出身。 田部井の又八 1812-1842 忠次の子分。上州佐位郡田部井村の富農の三男に生まれる。 山王道の民五郎 1812-1841 忠次の子分。上州那波郡山王道村の繭買商人の家に生まれる。居合抜きの名手。 甲斐の新十郎 1812-不詳 忠次の子分。甲斐国出身。 国定の次郎 1813-不詳 忠次の子分。国定村の富農の長男に生まれる。 八寸の才市 1813-1838 忠次の子分。上州佐位郡八寸村に生まれる。鉄砲の名人。 上中の清蔵 1814-不詳 忠次の子分。上州新田郡上中村に生まれる。三ツ木の文蔵の妹、おやすの夫。 観音のお紺 1815-不詳 忠次の子分。上州群馬郡水沢村に生まれる。 新川の秀吉 1815-1843 忠次の子分。上州勢多郡新川村に生まれる。 太田宿の日新 1815-1842 忠次の子分。上州太田宿に生まれる。 下植木の浅次郎 1816-1842 忠次の子分。上州佐位郡下植木村に生まれる。父親が屋根職人だったため、板割の浅次郎とも呼ばれる。 羽衣のお藤 1817-不詳 忠次の子分。田部井村に生まれる。弁天のおりんの弟子となり、国定一家の壷振りになる。 お鶴 1808-1876 忠次の妻。上州佐位郡今井村の旧家、桐生家の娘。 お町 1810-1870 忠次の妾。田部井村の富農、尾内市太夫の娘。幼い頃、両親を亡くし、親類で名主を務める尾内小弥太の養女となる。 田部井の嘉藤太 1807-1863 忠次の兄弟分。お町の実兄。本名は庄八。 三室の勘助 1800-1842 上州佐位郡三室村の名主、中島勘蔵の長男。 百々の紋次 1793-1842 百々一家の親分。上州佐位郡百々村の羽鳥家の次男に生まれる。 木島の助次郎 1791-1848 百々一家の代貸。上州佐位郡木島村の大谷助右衛門の長男に生まれる。 境の新五郎 1794-1830 百々一家の代貸。上州佐位郡境宿に生まれる。 玉村宿の佐重郎 1794-1857 上州那波郡玉村宿の旅籠屋角万屋の主人であり、博奕打ちの親分。関東取締出役の道案内を務める。 大前田の要吉 1786-1867 大前田一家の親分。上州勢多郡大前田村の富農、田島久五郎の長男。 大前田の栄五郎 1793-1874 要吉の実弟。旅で名を売った大親分。 獅子ケ嶽の重五郎 1798-1864 武州藤久保村の親分。大前田栄五郎の弟分。 高萩の万次郎 1805-1885 武州高萩村の名主、清水弥五郎の長男。鶴屋一家の親分。 福田屋栄次郎 1793-不詳 上州勢多郡月田村に生まれる。大前田栄五郎の兄弟分。 前橋の旅籠屋、福田屋の養子となり、関東取締出役の道案内を務める。 栗ケ浜の半兵衛 1794-不詳 上州佐位郡伊勢崎町に生まれる。伊勢崎一家の親分。大前田栄五郎の兄弟分。 茗荷松の源蔵 1790-1842 上州利根郡川田村の川田一家の親分。百々の紋次の兄弟分。 八寸村の七兵衛 1791-1859 佐位郡八寸村の親分。百々の紋次の兄弟分。 合の川の政五郎 1788-1860 上州邑楽郡大高島村の船問屋、高瀬仙右衛門の次男に生まれる。旅で名を売った大親分。信州の権堂村に落ち着き、女郎屋を営み上総屋源七を名乗る。 島村の伊三郎 1790-1834 上州佐位郡島村河岸の船問屋、町田家に生まれる。島村一家の親分。関東取締出役の道案内を務める。 平塚の助八 1790-不詳 伊三郎の代貸。 世良田の弥七 1793-1834 伊三郎の代貸。 不流三左衛門 1804-1874 上州佐位郡萩原村の香具師の大親分。 西野目宇右衛門 1796-1850 田部井村の富農、西野目家に生まれ、本間道場の師範代を務め、後、名主になる。 本間千五郎 1784-1874 上州佐位郡赤堀市場村の剣術道場の主人。丹頂と号し、俳人としても有名。 加部安左衛門 1804-1862 上州吾妻郡大戸宿の分限者。 お篠 1814-不詳 信州野沢の湯宿の女将。 お徳 1816-1889 群馬郡中里村の岸家に生まれる。忠次の子分、千代松の妻となる。 お貞 1825-不詳 上州佐位郡伊与久村の名主、大谷益左衛門の三女。 寅次郎 1844-1867 忠次の長男。野州都賀郡大久保村で育つ。忠次の死後、十歳の時、出家し、永野村長谷寺に入る。十五歳の時、出流山千手院、満願寺の大宝観秀の弟子となり千乗を名乗る。慶応三年十二月、大谷刑部国次と名乗り、出流山で旗揚げした勤王倒幕軍に加わるが、幕府軍に敗れ、処刑される。 高野長英 1804-1850 陸奥国水沢に生まれる。長崎に渡り、シーボルトに学ぶ。蘭方医。 #
by suwiun
| 2007-08-03 09:54
| 創作ノート
上州国定村の忠次は剣術道場を開くため、念流の道場に通っていた。
十七歳の時、誤って人を殺してしまい、玉村宿の親分、佐重郎の紹介で武州藤久保に隠れていた大前田栄五郎を頼った。栄五郎の男気に惚れた忠次は博奕打ちになろうと決心する。 正月に藤久保に挨拶に来た高萩の万次郎と知り合い、兄弟分となり、一年後、上州に戻った忠次は栄五郎の兄弟分、百々村の紋次親分の子分になった。 百々一家は境宿を中心に縄張りを持っていたが、その縄張りを島村の伊三郎親分が狙っていた。伊三郎は紋次の代貸を引き抜いて境宿に進出して来た。信頼していた子分に裏切られた紋次は酒浸りとなり、ついに中風で倒れてしまった。 紋次を見舞いに来た前橋の福田屋栄次郎の口添えで百々一家の跡目を継ぐ事になった忠次は、栄次郎の客人だった日光の円蔵を迎え、一家を立て直す決心をする。 円蔵の策により、女渡世人に壷を振らせ、賭場に客を集める事に成功した忠次は、伊三郎を倒すため、伊三郎の代貸たちを争わせようと考えた。作戦はうまく行き、伊三郎の代貸たちは殺し合いを始めた。平塚の助八が中島の甚助を殺して、旅に出たのだった。 世良田の祇園の賭場の事で、忠次の子分、三ツ木の文蔵が袋叩きにされた事に腹を立てた忠次は、伊三郎を殺すのは今しかない、と円蔵と共に暗殺計画を立て、七月の二日の夜、世良田へと向かう伊三郎を殺した。 伊三郎を殺した忠次らは旅に出、留守は円蔵らが守ったが、伊三郎の子分たちの襲撃は無く、伊三郎が死んだ事によって、跡目争いが始まり、島村一家は分裂した。 一年余り、信州に隠れていた忠次と文蔵が百々村に戻って来ると、留守を守っていた円蔵は境宿を取り戻し、新しい子分も増えていた。 伊三郎がいなくなって、日の出の勢いの忠次は本拠地を百々村から、国定村の隣村、田部井村に移し、名前も国定一家に改めた。玉村宿の佐重郎の誘いで、玉村の八幡宮の賭場を主催した忠次は各国の親分たちと知り合い、名を売った。 天保の飢饉の時は、蔵持ちの旦那たちに隠し米を出させて飢えた人々を救い、日照りに備えて、田部井村と国定村の沼も浚った。 縄張りも広がり、子分も増え、絶頂の忠次だったが、子分の裏切りによって、文蔵が捕まってしまった。何とかして取り戻そうとしたが失敗した忠次は、子分たちに文蔵を取り戻す事を命じて旅に出た。大戸の関所を目の前にし、怒りが治まらない忠次は長脇差を振り上げて、関所破りをしてしまった。 各地の親分のもとに草鞋を脱ぎ、四国の金毘羅参りをして、忠次が帰って来たのは二年後だった。留守を守っていた子分たちと再会を喜んでいると、円蔵が顔色を変えてやって来た。関所を破ってしまったため、まだ危険だという。忠次は子分の千代松の家に隠れ、江戸で曝し首にされた文蔵の墓を立てると、また旅に出た。 それから一年余り、旅をした忠次はこっそりと戻って来た。天保の改革が始まり、幕府の役人たちが忠次を血眼になって探し回っていた。忠次は赤城山に隠れたが黙ってはいなかった。山開きの日に各国の親分衆を集めて、山の頂上で大賭博を催した。 赤城山の賭博を成功させた忠次は四ケ月後、田部井村の又八の家で日待ちの賭場を開帳した。大勢の子分たちに見張りをさせ、各地から旦那衆が集まって賑わった。しかし、夜明け近くに八州役人に率いられた大勢の捕り方に囲まれた。忠次は無事に逃げ切ったが、三人の子分が殺され、八人の子分が捕まってしまった。赤城山に隠れながら、忠次は子分たちを助けようとしたが、警固が厳重で助けられず、裏切り者だと睨んだ三室の勘助を板割りの浅次郎に殺させ、旅に出た。 勘助殺しを機に国定一家を潰そうと考えた八州役人たちは総動員して忠次たちを探し回り、次々に大物の子分たちを捕まえた。軍師だった円蔵も捕まり、忠次の縄張りは縮小した。その後、忠次は四年近くを旅で過ごし、上州に戻って来ても隠れる生活が続いた。逃げる事に疲れた忠次は四十歳になると、跡目を境川の安五郎に譲り、兄弟分のいる会津に行って、のんびり暮らそうと思った。しかし、突然の発作に襲われた忠次は体が動かなくなり、田部井村の名主の家に隠れている所を捕まった。 江戸に送られた忠次は関所破りをした事によって磔刑を言い渡され、雪のちらつく寒い日、大戸の関所で処刑された。 #
by suwiun
| 2007-08-03 09:51
| あらすじ
文化7年 (1810) 忠次、国定村に生まれる。
文化8年 (1811) 式亭三馬の『浮世床』の初編が刊行される。 文化11年 (1814) 曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』第一輯が刊行される。 文化13年 (1816) 浦賀にイギリス船、渡来する。 文政3年 (1820) 江戸の戯作者、十返舎一九、吾妻郡草津村の俳人、黒岩鷺白を訪れる。 文政4年 (1821) 貞然、長岡家の菩提寺、養寿寺の住職となり、寺子屋を営む。 文政5年 (1822) 吾妻郡内の商人ら、同郡大戸村の加部安左衛門の手先商人となり、繭、麻、煙草などを集荷する。 文政8年 (1825) 江戸中村座で『東海道四谷怪談』が初演される。 文政9年 (1826) 幕府、無宿者・農民・町人の長脇差携帯を禁止する。 文政10年 (1827) 幕府、関東全域の取締り強化のため、取締出役の下に改革組合村を設置する。 文政11年 (1828) 館林藩士、生田万、藩領外に追放され浪人となる。 幕府、シーボルトを長崎出島に幽閉する。 武州久下村出身の蘭医、村上随憲、上州境宿で開業する。 文政12年 (1829) 葛飾北斎、『富嶽三十六景』を描く。 天保元年 (1830) おかげ参りが大流行する。 天保3年 (1832) 鼠小僧次郎吉、江戸小塚原で処刑される。 天保の飢饉が始まる。 天保4年 (1833) 歌川広重、『東海道五十三次』を描く。 諸国、飢饉となり、各地に打ち壊しが起こる。 天保5年 (1834) 国定忠次、島村の伊三郎を殺す。 天保7年 (1836) 諸国、飢饉となる。奥羽は最も甚だしく死者十万に及ぶ。 天保8年 (1837) 大坂町奉行所与力、大塩平八郎、大坂で乱を起こす。 生田万、越後国柏崎の陣屋を襲撃して自刃する。 徳川家慶、十二代将軍となる。 天保10年 (1839) 幕府批判等により、渡辺華山・高野長英が捕らえられる。 水野忠邦、老中筆頭となる。 天保11年 (1840) イギリス・清国間にアヘン戦争が起こる。 遠山金四郎、江戸北町奉行になる。 天保12年 (1841) 幕府、天保の改革を始める。 関東取締出役に臨時取締出役二十六人が加えられる。 天保13年 (1842) 幕府、人情本を禁じ、為永春水・柳亭種彦を処罰する。 天保14年 (1843) 水野忠邦、老中を罷免される。 弘化元年 (1844) 江戸城本丸焼失する。 水野忠邦、再度、老中筆頭になる。 弘化2年 (1845) 幕府、浦賀に砲台を築く。 水野忠邦、病気を理由に老中を辞職する 弘化4年 (1847) 善光寺大地震。 嘉永 元年 (1848) 幕府、信州松代藩の佐久間象山に洋式野鉄砲を造らせる。 外国船、頻繁に渡来する。 嘉永2年 (1849) 関東取締出役が増員され、三地域分担制が拡大される。 嘉永3年 (1850) 国定忠次、大戸で処刑される。 #
by suwiun
| 2007-08-02 09:55
| 創作ノート
嘉永(かえい)三年(一八五〇)十二月二十一日、上州(群馬県)吾妻郡(あがつまごおり)、信州街道の大戸宿(おおどじゅく)は朝早くから祭りさながらの賑やかさだった。
その日は粉雪がちらつき、凍るような寒さだった。 にもかかわらず、各地から人々が集まり、これから始まる見世物をそれぞれの人がそれぞれの思いで見守ろうとしていた。 萩生(はぎゅう)村の農家から出て来た旅の商人(あきんど)が街道を眺めて目を丸くした。 「ほう、こりゃ凄えのう。まるで、蟻の行列のようじゃ。ほんま、大したもんや」 独り言をつぶやくと商人は荷物を背負って、その流れの中に入って行った。 目の前に女連れの一行がいた。 後ろ姿がなかなか色っぽい年増(としま)女が二人と四十年配の男が三人、遠くからやって来たような旅支度で、皆、無言のまま歩いている。 回りを見回すと女連れの者が結構、多いのに商人は驚いた。 これから始まる見世物は女子供が好んで見るような代物(しろもの)ではないはずだったが‥‥‥ 商人は商人特有の愛想笑いを浮かべると、前を行く一行に声を掛けた。 「えらい人出でございますなア」 二人の女と一人の男が振り返って、商人の顔を見た。 二人の女は確かに色っぽかったが、年増というよりは中年に差しかかっていた。二人共、粋(いき)な身なりで料理茶屋の女将(おかみ)という感じだった。 女たちは商人の顔をチラッと見ただけで何も言わなかったが、頬(ほお)っ被りして荷物をかついでいる男は商人にうなづき、 「はい。まったく、凄いですなア」 と答えてくれた。 商人は軽く腰を屈め、 「あたしは近江(滋賀県)から来た橘屋(たちばなや)という商人でございます」 と名乗った。 「境の絹市で噂を聞きまして、土産話にちょいと覗いて行こうと思い、こうして、やって参りました。まさか、これ程の賑わいとは思ってもおりませんでしたわ」 「近江からいらしたんですか、それはそれは‥‥‥わたし共は信州(長野県)からです」 男は人懐っこい顔をして、橘屋と並んで歩いた。丁度いい話相手が見つかって、ホッとしたという顔付きだった。 「信州? あれ、方向違いのような‥‥‥」 橘屋は首を少し傾げた。 「はい。昨夜(ゆうべ)、大戸に着いたんですが、宿屋が一杯で泊まる所がございません。仕方なく、萩生まで行って、何とか泊まる事ができたという次第なんです」 「そうでしたか。信州から、わざわざいらしたんですね?」 「勿論ですとも。まさか、親分さんがこんな事になろうとは‥‥‥失礼ですが、親分さんの噂は近江の方にも聞こえておりますか?」 「はい、それはもう聞こえとりますとも。あたし共は上州と江州(ごうしゅう)を行ったり来たりしとりますんで、親分さんの噂は上州の話をする度に話題に上ります。ただ、噂ばかりで実際に会った者はおりまへんし、渡世人の世界の事はあたし共にはよく分かりまへん。いい加減な噂ばかりでございますよ」 「あのう、いい加減な噂とはどんな噂なんです?」 と橘屋の前を歩いていた女が急に振り返った。 「はい、まったくいい加減な噂なんです」 と橘屋は言ったが、もう一人の女も興味深そうな顔をして、噂の内容を聞きたがった。 「本当かどうかは存じまへんが、親分さんが悪いお代官様を斬ったとか、天保の飢饉(ききん)の時、お百姓たちにお米や銭をばらまいて救ったとか、いい噂もあれば、若い娘をかどわかして女郎屋に売り飛ばしたとか、赤城山(あかぎやま)に隠れてて、夜になると村々に出て来て、手当たり次第に娘たちを手込めにしたり、銭を盗んだとか‥‥‥」 「何ですって、誰がそんなひどい噂を‥‥‥」 女たちは口惜しそうに唇を噛んだ。 連れの男たちも信じられないというような顔付きで橘屋を見ていた。みんな、悪い方の噂に対して、親分さんがそんな事をするはずはないと信じているようだった。 「はい、まったくいい加減な噂なんです」 と橘屋は大袈裟に手を振った。 「そんな、ひどすぎます」 二人の女は顔を見合わせて顔をしかめた。 「はい、ひどい噂です‥‥‥あたしには親分さんがどんなお人なのか、まったく見当も付きません。今回、境に行ったら、親分さんの噂で持ち切りで、あたしも気になって色んな人に聞いてみました。それでもやっぱり、よく分かりませんでした。親分さんの地元でも、親分さんを良く言う人もおりますし、悪く言う人もおります。どっちの言い分が正しいのか、あたしにはさっぱり分かりません。そこで、実際の親分さんを一目、見てみようと思いまして、こうして、やって来たわけなんですわ」 「そうでしたか」 と女の一人が言った。 「親分さんは立派なお人ですよ。ねえ、お篠(しの)さん」 お篠と呼ばれた女はうなづいたが、顔付きは暗かった。 「親分さんの最期を見守るために、これだけ大勢の人が集まるんです。親分さんが悪人だったら、こんなに人が集まるはずありません。親分さんは絶対に立派な人なんです」 女はお篠に言い聞かせるようにしゃべっていた。 「確かに」 と橘屋は二人の女にうなづき、回りを見回した。 人々の顔は、ただのやじ馬ではなかった。それぞれが親分さんに対する思いを抱きながら歩いているように見えた。 「悪(わり)いが、おめえさんたちの話は聞かせてもらったぜ」 後ろからドスのきいた声がした。 橘屋がドキッとして振り返ると百姓風の三人連れがいた。 百姓の格好をしているが話し方や顔付きは百姓には見えない。背中に丸めた筵を背負っていて、その中には長脇差(ながどす)が隠されているに違いなかった。 「いいか悪いかってえのはなア、見方によって変わるもんなんだぜ」 と兄貴分らしい男が遠くを眺めながら言った。 「お上(かみ)の立場から見りゃア、お上に楯突いた親分さんは極悪人だ。だがよお、百姓たちから見りゃア、違った見方になるんだぜ。悪口を言う奴らはみんな、お上の立場に立って物を言うお利口さんよ。親分さんを盗っ人呼ばわりする奴らはな、あくでえ事をして弱え者から銭を絞り取った汚ねえ奴らさ。親分さんに弱みを握られ、てめえから銭を差し出したくせして盗まれたと抜かしやがる。女子(おなご)の事だってそうだぜ。親分さんはな、子分たちに堅気(かたぎ)の娘にゃア絶対に手を出すなって言ってたんだ。だがよお、娘の方が黙ってねえのよ。親分さんの子分にゃアいい男が揃ってるぜ。男気(おとこぎ)のある奴らがな。芝居(しべえ)を地で行く男たちを若え娘っ子が放っとくわけがねえや。若え娘は一途だ。中にゃア、うちをおん出て、親分さんの子分のもとに走った娘もいるだんべえ。娘を取られた親から見りゃア騙(だま)されただの、無理やり連れて行かれただのと騒ぎやがる。それに尾鰭(おひれ)が付いてよお、手当たり次第(しでえ)に女子を手込めにしただのと噂になったのよ。実際に、その目でじっくりと本物(ほんもん)の親分さんを見てやっておくんなせえよ。それじゃア、お先に御免なすって」 そう言うと三人連れの百姓風の男たちは速足で橘屋たちを追い抜いて行った。 「ただの百姓じゃありませんな」 三人の後ろ姿を見送りながら、信州から来た男が小声で言った。 「何者でしょう?」 と橘屋も三人を目で追っていた。 「親分さんに縁(やかり)のあるお人に違いありませんね」 「成程‥‥‥親分さんの子分たちが、親分さんを奪い返すだろうという噂も耳にしましたが、どんなもんでしょう?」 「ないとは言えませんが難しいでしょうな。昨夜(ゆうべ)、大戸の宿場を通って来ましたが、それはもう凄い警固でした。江戸から来られたお役人様を初めとして、近在の者たちが武器を手にしてウロウロしておりました。噂では二、三百人の者たちが守ってるとの事です。親分さんの子分とは言え、あの警固を破るのは難しいと思いますよ」 「二、三百の警固ですか‥‥‥たった一人の親分さんをお仕置きするのに、二、三百もの者たちが警固をするとは、まさしく、天下の大親分や。これは見ないわけには行きまへんな‥‥‥ところで、あなた方も親分さんに縁があるんですか?」 「とんでもございません。縁だなんて‥‥‥ただ、親分さんは信州に逃げて来られた時、わたし共の村を助けてくださったんです。その時の恩が忘れられなくて、村を代表して、こうしてやって来たんです。信州から来たのはわたし共だけではありません。きっと、親分さんのお世話になった人たちは大勢いるはずです。みんな、親分さんの御冥福(ごめいふく)を祈って、遠くからやって来てるんです」 「そうでしたか。そういえば、美濃(岐阜県)を通った時、上州の親分さんが人助けをしたという噂を耳にした事がございます。その時は人違いだろうと思っておりましたが、やっぱり、親分さんの事だったんですねえ」 「美濃にも、そんな噂があるんですか‥‥‥親分さんは一度、四国の金毘羅(こんぴら)さんにお参りに行かれたと聞きますから、そん時の事なんでしょうね」 曲がりくねった薄暗い山道を抜けるとなだらかな坂が続き、ようやく大戸の宿場が見えて来た。 お仕置き場は宿場の南はずれにあり、竹矢来(やらい)で囲まれていた。赤、黒、黄色、白、桃色、浅葱(あさぎ)色と六色の幟(のぼり)が風に靡き、六尺棒や鉄砲を持った警固の者たちが竹矢来の中にも外にも大勢いるのが見えた。 処刑の時刻まで、四時間近くもあるというのに、各地から集まって来た見物人が竹矢来の回りに群がっている。ざっと見ただけでも五、六百人はいるようだった。 「凄いですなア」 と橘屋は言ったが、信州から来たという女連れの一行はさっさと先に行ってしまっていなかった。 「あれまあ、つれないお方たちじゃ」 橘屋は独り言をつぶやき、お仕置き場の竹矢来のそばまで行った。まだ空いていた一番手前に陣取ると満足そうに荷物を下ろした。 回りを見回すと、仲間同士でヒソヒソ話をしている者が多かった。 座り込んで一心に御題目(おだいもく)を唱えている老婆もいる。 あの老婆も親分さんに助けられたのだろうか‥‥‥ 見るからに渡世人と分かる者も何人かいたが、それはほんの一部に過ぎなかった。ほとんどの者が博奕(ばくち)打ちの親分とは何の関係もなさそうな人たちばかりだった。女連れも多く、中には着飾った若い娘もいる。どこかの村の名主(なぬし)のお嬢さんのようだが、そんな娘がどうしてこんな所に来るのか、橘屋には理解する事ができなかった。 「おっ、あんなとこにいやがった。あの野郎、生意気(なめえき)に偉そうにしてやがる」 隣りにいる農民が竹矢来の中を指さしていた。 「お知り合いがいらっしゃるんですか?」 と、すかさず橘屋は声を掛けた。 「へえ、うちの村の者がああして警固役に出てるんすよ」 前歯の欠けた人の良さそうな顔をした男が自慢気に言った。 「どこの村からおいでなんですか?」 「須賀尾(すがお)だア。あの浅葱色の鉢巻きをしたんが、うちの村の者たちでさア」 「ほう。村によって鉢巻きの色が違うんですか?」 「へえ。大戸が赤、大柏木が桃色、本宿(もとじゅく)が黄色、萩生が白、三島が黒、そして、須賀尾が浅葱というわけなんで。いつもだと人足を出せって村役人様から言われると、みんな、やがって逃げちまうくせして、今回に限って、俺も俺もと集まって来て、すぐに人数が揃っちまったんすよ。俺たちもやりたかったんだが、あぶれちまったってえわけでさア」 「そうですか‥‥‥みんな自分から進んで警固の任務に就いてるんですね」 「そうなんすよ。三島村なんざ、警固の人数にゃア入ってなかったんに、わざわざ頼み込んでやって来たらしいでえ」 「ほう‥‥‥これだけの警固をするという事はやっぱり、大勢の子分たちが親分さんを助けにやって来るんでしょうか?」 「それは何とも言えねえなア。この警固ん中、親分さんを助け出す事なんか不可能だんべえ。でもよお、もしかしたら、信じられねえ事が起こるかもしんねえ」 「信じられない事が‥‥‥」 と橘屋は竹矢来の中を覗き込んだ。 この中で後々までも語られる不可思議な事が起こるのかもしれないと一瞬、本気にした。が、そんな馬鹿なと振り返ると須賀尾村の農民は仲間たちとヒソヒソ話を始めていた。 橘屋は身震いをすると襟(えり)を両手で押さえて、ちぢこまった。歩いている時はそれ程、気にならなかったが、じっとしていると寒さがこたえた。荷物の中から手拭いを出して、頬っ被りをしていると、二人の侍(さむらい)がやって来て、橘屋の隣りに立った。 「大した人出ですね」 と若侍が辺りを眺めながら言った。 「うむ」 と年配の侍が軽くうなづいた。 「しかしのう、たかが博奕打ちの親分の処刑が磔(はりつけ)とは恐れ入った事じゃ」 二人とも旅支度をしていて、遠くから来たようだったが、どんな身分の侍かは見当もつかなかった。 「お上(かみ)もかなり焦ってるようじゃな。世の中の仕組みがあちこちで崩れ始めて来ておる。何とか立て直そうと必死なんじゃが、いい知恵が浮かばん。そこで今度のお仕置きを考えたんじゃろう。関所破りをした者は破った関所の前で磔にするというのが古くからの定めじゃが、今頃、そんな馬鹿げた事をするとはお笑い草じゃ。大戸の関所に抜け道がある事を知らん奴はおらん。抜け道をほったらかしにしておいて関所破りが聞いて呆(あき)れるのう」 「何でも、ここで磔があったのは二百年も昔の事らしいですよ」 「そりゃそうじゃろうのう。抜け道がなかった頃の話じゃ」 「関所を破ったのは忠次一人だったわけじゃないんでしょ? 捕まった子分どもは江戸で獄門(ごくもん)になったのに、どうして親分の忠次だけが磔になるんです?」 「そこが問題なんじゃ。お上の狙いは忠次を磔にする事によってお上の御威光を取り戻す事なんじゃ。お上に逆らうとこういう目に会うからやめろと民衆に見せつけるためなんじゃよ。特にお上に反抗する者が多い、この上州の地でやるのが最も都合がいいんじゃ。それにな、この人出を見てみろ。お上が忠次を恐れるのも無理ねえ事じゃ。忠次の最期を見るためにこれだけの人が集まるんじゃ。忠次が一声掛ければ、三千人の命知らずが集まるってえのも本当かもしれん。浪人共が忠次の勢力を利用して反乱を起こそうとしていたという噂も本当かもしれんのう」 「はい‥‥‥博奕(ばくち)打ちながら、大した男だ」 「うむ。逆効果にならなければいいがのう」 「逆効果とは?」 「磔になった事で、忠次が英雄に祭り上げられる事じゃ。忠次が死んで世直し大明神に祭り上げられたら、世の中は益々、乱れて来る。下手(へた)をしたら幕府が転覆する事もありえるぞ」 「まさか‥‥‥」 「たかが博奕打ちじゃ。そこまでにはなるまいとは思うがのう‥‥‥まだ、時が大分ある。こんな所で待っていても寒いだけじゃ。加部安の所で一杯やりながら待つとするか」 「大丈夫ですか? 加部安(かべやす)の家には役人たちが詰めてるんじゃないですか?」 「とにかく、行ってみよう。知ってる顔がいるかもしれんからのう」 侍たちは街道の方に向かって行った。 一体、何者だろう、と橘屋は侍たちを見送った。平気な顔をしてお上の批判をしていた。あんな大それた事を平気で言うとは偉い侍には違いないが、一風変わった侍だった。 街道の方を見ると人の流れは止まる事なく、お仕置き場を目指してどんどん集まっていた。 橘屋は耳を澄まして、回りにいる者たちの会話を聞いていた。まるでお通夜のように、みんな、しんみりとした顔付きで忠次親分の事を話している。しかし、処刑の時刻が近づくに従って、竹矢来の回りは人で溢れ、身動きする事もできない有り様となった。仲間同士で話をする事もできず、皆、じっと中の様子を見守っていた。 近くの寺の鐘が四ツ(午前十時)を知らせた。雪は止み、薄日が差して来たが、肌を刺す風は冷たかった。 橘屋は寒さに震えながら、一体、なぜ、自分はこんな寒い思いをしてまで、会った事もない博奕打ちの親分の処刑を見なければならないのだろうと思った。 磔を見るのが、それ程、価値のある事なのか?‥‥‥ もう、やめようと思った時、すでに一千人を越えている見物人たちがざわめき始めた。 橘屋は顔を上げると目を凝らして、竹矢来の中を見つめた。 物々しいいで立ちの行列がお仕置き場に入って来た。 国定忠次の乗った唐丸籠(とうまるかご)は行列の中程にあった。お仕置き場のほぼ中央に唐丸籠が置かれ、役人たちが所定の場所に着いた。 主役の忠次がお仕置き場に入って来た事によって、警固の者たちを初めとして見物人までもが緊張した。 皆の視線が唐丸籠に集中し、重々しい沈黙が流れた。 風になびく幟のパタパタという音がやけに不気味に聞こえた。 長い沈黙に耐え切れずに誰かが咳払いをすると、あちこちから咳や溜め息が聞こえて来た。 橘屋もゴクリと唾を飲み込んだ。 街道を挟んだ向こう側にも役人たちが並んでいた。役人たちを守るように鉄砲を持った警固の者がその両脇を固めている。鉄砲持ちも六色の鉢巻きを締めていた。村々から集めた猟師のようだった。 街道は通行止めされたとみえて、警固の者以外、人影はなかった。 ようやく、唐丸籠から忠次が現れた。 両手を縛られた忠次は白い着物を着ていて、腰を伸ばすと首を上げて曇り空を見上げた。 大柄の男だと思っていたが、背丈は普通で小太りといった感じだった。 これが噂の国定忠次なのかと橘屋は少しがっかりした。噂から思い描いていた忠次と実際の忠次はあまりにも掛け離れていた。 唐丸籠が片付けられ、忠次は検使の役人の前に座らせられた。 橘屋の方から見れば背中を向けている。役人が忠次に向かって、最期の望みを聞いているようだった。忠次が何か答えたようだったが、その声は見物人まで届かなかった。 橘屋はふと、自分だったら最期の時、何を望むだろうかと思った。 死を目前にして、銭などいくらあっても役には立たない‥‥‥ 後に残る家族の事を頼むか‥‥‥ 忠次が望んだのは一杯の酒だった。 「加部安さんちの酒だ」 と誰かが言った。 加部安というのは上州でも一、二を争う程の分限者(ぶげんしゃ)で、古くより大戸に住み、代々加部安左衛門を称していた。広い屋敷内では酒造りもやっていて、銘酒『牡丹』は有名だった。 橘屋も商売上の付き合いで、何度か会った事がある。そういえば、忠次の噂を加部安から聞いたのを橘屋は思い出した。 「国定村の親分は面白え男だ。わしも親分のために随分と銭を使ったが、不思議と後悔しちゃアいねえ。返って気持ちいいくれえだ。親分は銭に対して、まったく執着がねえ。執着がねえから親分とこにゃア自然と銭が集まって来るんかもしれん。わしも親分の真似して、吉原に行った時、パァッと派手に使ってみたが、わしゃ駄目だ。どうしても銭に執着しちまって身代を傾けちまった。親分の真似はなかなかできねえ」 加部安はそう言って笑った。橘屋にはその時、加部安の言っている事がよく分からなかった。しかし、今、忠次の背中を見ていると、何となくだが加部安の言った意味が分かるような気がした。 忠次はゆっくり味わいながら、加部安の酒を飲んでいた。 ここからは忠次の顔は見えないが、忠次がうまそうに末期(まつご)の酒を飲んでいる顔が橘屋の脳裏にはっきりと浮かんで来た。その顔は落ち着き払い、すでに、生死を超越しているようだった。 酒を飲み干した忠次は立ち上がると、さっさと磔柱(はりつけばしら)の方に歩いて行った。 六尺棒を持った警固の者たちが慌てて、忠次の後を追って行くという滑稽(こっけい)な場面に見物人の中から微かな笑いがこぼれた。 忠次は磔柱の前に立つと初めて見物人たちの方を眺め回した。見物人一人一人を確かめるように、ゆっくりと一回りした。 忠次の顔付きは極悪人というような恐ろしい顔ではなかった。これから磔にされるというのに、それに対する恐れなどまったく感じられず、他人事のような顔をしている。 その態度には何とも言えない存在感があり、どっしりとしていて、大地にしっかりと根を張った大木を見上げているような感じがした。博奕打ちの大親分というよりは、一人の偉大な男という感じだった。 橘屋は一瞬、忠次と目が合ったと思った。 その目は異様に輝き、何かを必死に訴えようとしていた。その目を見た瞬間、橘屋には忠次という男のすべてが分かったような気がした。いい加減な噂の中の忠次とはまったく違った本物の忠次という男が分かったような気がした。 そう感じたのは橘屋だけではなかった。見物人全員が忠次と一瞬、目が合ったと感じ、その瞬間に忠次という男を理解したように感じていた。 警固に集まった連中は忠次と目が合うとうなだれ、自分が後ろめたい事をしているかのように感じた。 江戸からやって来た役人でさえも忠次の目に何かを感じていた。それは磔にされる極悪人に対するものではなく、同じ時代を生きて来た忠次という人間に対する何かだった。彼らは上から命令された事を実行するために、意気揚々と江戸からやって来た。幕府のやる事はすべて正しいと信じて疑わず、忠次を磔にする事を誇りのように思ってやって来た。しかし、今、忠次のやけに落ち着いた目付きで見られると、何が本当に正しい事なのか、もう一度、見つめ直した方がいいのではないかという不安が心の中をよぎった。 忠次は磔柱に縛り付けられ、人足たちによって磔柱は立てられた。 あらかじめ掘ってあった穴の中に磔柱の根元が入れられると穴は埋められ、しっかりと踏み固められた。 忠次は磔柱に両手両足を開いた大の字に縛り付けられ、白い絹の着物は腋(わき)の下から腰の辺りまで切り裂かれ胸の前で縛られていた。 忠次の姿が高々と上げられると見物人たちはどよめいた。 「親分さん‥‥‥」 と言ったつぶやきがあちこちで起こり、嗚咽(おえつ)とも溜め息ともいえる音がどこからともなく聞こえて来た。 「皆の衆‥‥‥」 と少しかすれた低い声が仕置き場に響き渡った。 それは、磔柱に縛られた忠次の声だった。皆の視線が忠次の顔に注がれた。忠次が何かを言おうとしている。誰もが、その言葉を聞き逃すまいと辺りは静まり返った。 「いい眺めだア」 と忠次はしみじみと言った。そして、遠くをじっと見つめた。 ここから赤城山が見えるのか分からないが、忠次は赤城山を見つめているに違いないと橘屋は思った。 検使の役人が手を振り上げた。 磔柱の両脇に控えていた槍持ちが槍を高々と突き上げ、忠次の目の前で交差させるようにした。二本の槍の穂先がぶつかり、『カキーン』という冷たい金属音が響き渡った。 女の悲鳴が聞こえたが、それはすぐに消え、シーンと静まり返った。 急に薄暗くなり、また、チラチラと雪が舞い始めた。 忠次は目の前の槍の穂先に動ずる事なく、遠くを見つめたまま、微かに笑っているようだった。 二つの槍が引かれると息を飲む間もなく、忠次の右側にいる男が、 「アリャー!」 と掛け声を掛けながら、忠次に向かって槍を繰り出した。 橘屋は一瞬、目をつぶってしまった。 あちこちから悲鳴や呻(うめ)きが起こった。が、すぐに、それは安堵の吐息に変わった。それはただの素突きだった。左側の男も掛け声を掛けながら素突きを行なった。 橘屋は胸を撫で下ろしたが、安心する間もなかった。次の瞬間には鈍い音と共に、槍は忠次の右脇腹に突き刺さり、体を貫いて、左肩に一尺余りも飛び出していた。 橘屋は口をポカンと開けたまま、串刺しにされた忠次を見つめていた。 目の前で起こった事が信じられなかった。 時が止まってしまったかのように見物人たちは皆、息を殺して無残な忠次の姿を見つめていた。 ‥‥‥続きは本を買ってお読み下さい。 #
by suwiun
| 2007-08-01 10:06
| 小説
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